今がわかるベルギーの歴史|わかりやすい&簡単に
ベルギーの成り立ちは複雑で現在の国家の状況もそれを反映して複雑です。
この記事ではベルギーの歴史について、現在のあり方や有名な観光地の情報をつながる部分に注目して紹介するものです。
みなさんベルギーについて調べてみるとこのような疑問が頭に浮かぶのではないでしょうか。
もちろんこのように簡単に答えることはできますが、できれば歴史を学び語れるようになれたらいいですよね。
よくある疑問
・なぜ小さな国の中でフランス語とオランダ語がつかわれているの
⇒ もともと北部はオランダ語、南部は一時フランス領になりフランス語に統一
・じゃあ北部のオランダ語圏とオランダとの違いは
⇒ 宗教が違います。ベルギーはカトリック、オランダはプロテスタント
・なぜ欧州連合EUがブリュッセルに
⇒ 立地とさまざまな大国に支配されてきた歴史から
この記事の想定レベルは高校の世界史をほとんど覚えていない人向けです。かなりざっくりとした説明ですので正確を求める場合はwikipediaや書籍などを参考にされることをお勧めします。
またベルギーの歴史は非常に複雑で語るべきことが多いのですが、今回は特に現在のベルギーに至るきっかけや主要な都市、観光地の背景の理解を助けることを狙いとしています。不完全な部分についてはご指摘いただければと思います。
ベルギー観光や留学、海外赴任の皆様のお役に立てればと幸いです。
ベルギーの歴史
古代
ベルギーはこのころ独立した地域ではありません。つまり今のようなベルギー国境に相当するものはありませんでした。
当初はケルト人が住んでいましたが、すぐにローマ化・ラテン化されます。
3世紀にメロウィング朝のフランク王国の領土になります。
9世紀のヴェルダン条約、メルセン条約で西フランクになったり、東西フランクに分けられたりします。つまり、フランスとドイツの間で翻弄される土地でした。
以後もほかの大国の一部である時代が続きます。
中世
中世になるとフランドル領の1部となり、今でいうオランダ・ベルギー・ルクセンブルクの原形のようなものが出来上がります。
中世では毛織物で栄え、ゲント/ヘント、ブルージュ/ブルッヘが中心都市になります。
14世紀には百年戦争によりブルゴーニュ公領になり、15世紀には貴族同士の結婚の結果ハプスブルク家の領地になります。その後、スペイン=ハプスブルク家が支配をします。
オランダ独立&併合
アメリカ大陸の発見により商業の中心地が大西洋に移ることで、港であるアントワープ/アントウェルペンが栄えます。
同じくオランダのアムステルダムが栄え、商業が盛んになることでプロテスタント、カルヴァン派が増えます。一方ベルギーはカトリックのままです。
キリスト教内の宗教の違いが今でもベルギー(カトリック)とオランダ(プロテスタント)を分ける大きな要素になります。
オランダはスペインによってカルヴァン派を弾圧され、それに反発する形で独立を果たします。
ここで残ったスペイン領の南ネーデルランドが現在のベルギーの原形になります。
このあと、18世紀後半からフランス革命やナポレオンのいざこざに巻き込まれ、オーストリア、フランスなどに支配されます。
ナポレオンが決定的敗北となった戦地がブリュッセルの南のワーテルローです。
いざこざの間に衰退したベルギーはオランダと併合され1815年にネーデルラント連合王国になります。同時にここでルクセンブルクが分離します。
ベルギー独立
しかし、経済・教育・言語でオランダとそりが合わず、結局1831年にベルギーは独立します。
このときベルギーはドイツ系の国王を戴く立憲君主国となり、今でも王族がいるわけです。
その後ベルギーは永世中立国となり、西欧の緩衝地帯としての立ち位置がスタートします。この際に現在の北部(フランデレン)がベルギー領、南部(ワロン)がフランス領となり、現在の言語対立につながるわけです。
意外なことにベルギーはイギリスに続き、大陸欧州最初の産業革命を成し遂げます。南部がその工業地帯にあたりリエージュが当時の先進的な地域でした。
19世紀後半にはレオポルド2世がアフリカに植民地進出します。その植民地がコンゴ自由国で、ここでは黒人に対する苛烈な扱いの歴史があり今でもこの問題は尾を引いています。
世界大戦中のベルギー
第一次世界大戦では永世中立国にもかかわらず、ドイツに侵攻されドイツ軍のドイツ軍占領下となります。
第二次世界大戦においてもナチス=ドイツの侵攻を受け、わずか18日で無条件降伏、そのご1944年までの4年間ドイツに占領されます。
戦中・戦後の国王の振る舞いはのちに責任問題として非難され国を二分する議論となります。
現在のベルギーへ
現在のベルギーは、正確にはベルギー王国。
立憲君主制の連邦制(フランデレン、ワロン、ブリュッセル)となっている。
宗教はカトリックが多い。
言語はオランダ語とフランス語が主に用いられ、ドイツ語も一部で使用される。
ベルギーはこのような多様性と大国に翻弄され続けてきた歴史から、首都ブリュッセルが欧州連合EUの中心地となっている。
現在の連邦制になったのは1993年のことで現在も対立は続いている。現在も分離について話題があがり、決して安定した国家体制になっているとはいいきれない。
まとめ
今回紹介したのはベルギーのごく簡単な歴史的経緯ですが、最初にご紹介した疑問についてもう少し深く語れるようになったのではと思います。
・なぜ小さな国の中でフランス語とオランダ語がつかわれているの
⇒ もともと北部はオランダ語、南部は一時フランス領になりフランス語に統一
・じゃあ北部のオランダ語圏とオランダとの違いは
⇒ 宗教が違います。ベルギーはカトリック、オランダはプロテスタント
・なぜ欧州連合EUがブリュッセルに
⇒ 立地とさまざまな大国に支配されてきた歴史から
この記事がきっかけでベルギーについてさらに調べたり、実際に訪れたりして頂ければうれしいです。
以上